社会科公民の歴史 -黎明-

社会科の誕生

社会科誕生

日本に「社会科」という科目が誕生したのは、1947 年まで遡る。

戦前日本には、「国史」「地理」「修身」「法制・経済」「公民」という科目がバラバラに存在していたが、戦後国家主義・軍国主義を撤廃するGHQによって、「国史」「地理」「修身」授業の停止が命じられた。

その後、「修身」を除く科目は復活されたが、1946 年にはアメリカ教育使節団が来日し、アメリカの教育実績を紹介しながら変革を促した

。翌年、国民に社会生活を教育するためには、上述教科を横断して学ばなければならないとし、結果それらを融合させる形で総合的な学習を担う「社会科」が誕生した。

 

問題解決学習中心の初期社会科

 

このように誕生した初期社会科は、

現実の社会生活の問題を取り上げ、生徒が主体的に考え、いかに行動すべきか探る「問題解決型」の授業であった。

授業作成を行う教師にとっては扱いづらいもので混乱が生じており、当時の社会科は「はいまわる社会科」と揶揄されている。

その後、各方面から科学的な教育がなされてないことを批判され、問題解決型の授業から社会科を体系的に学習していく「系統学習」へとシフトしていく。

 

社会科の変化

系統学習の社会科

 

問題解決型の社会科に対する非難が強くなっていった結果、

1955年、中学・高校の学習指導要領が改定され、社会科を細分して体系的に学ぶ「系統学習」へと方針が転換された。

例えば中学社会科では、内容を歴史的分野・政治経済分野・社会的分野に分化され、効率的な教育をすることが目指されている。

系統学習社会科のその後の動きを中学・高校でそれぞれ追っていきたい。

まず中学社会科であるが、当初上述の3分野は1学年1分野という形で授業展開がなされているが、

1969年の「学習指導要領」の改定により、1・2年には地理分野・歴史分野を並行して学び、3年で公民的分野を学ぶ「地歴並行学習」が原則とされた。

これにより各分野のつながりを意識した授業展開を行い、生徒の知識の関連づけを図った。

また高校社会科でも同じく分化が進み、1958年にそれまでの「社会」は「倫理・社会」「政治・経済」の2つに分かれ必修科目となった。

また「世界史」と「地理」がA・Bの2科目に分けられている。

また中学社会科と同様に、1~3学年それぞれにおいて各科目を並行して学ぶカリキュラムであったが、各科目の繋がりが乏しいと疑問視され、1977年に学習指導要領が改正された。

この改正によって、1年時に「現代社会」を設置し現代社会問題を生徒に主体的に学ばさせ、

2年以降は他科目を選択制にすることとなった。

 

 

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